463【高齢出産】リスクのある高齢出産をなぜ、選択するのか

 

この問いは非常に繊細で、誤解されやすいテーマですが、臨床の立場からは「親がリスクを軽視している」「無責任に子どもを持っている」という単純な話では決してありません。

 

35歳を超えての妊娠・出産が増えている背景には、人の意思決定の特性、社会構造の変化、そして「子どもを持つ意味」の捉え方が深く関係しています。

 

 

 

 

まず前提として、多くの人は論文や統計が示す「確率」を、日常の意思決定にそのまま当てはめて考えていません。

 

発達障害のリスクが「相対的に上がる」という事実があっても、それはあくまで集団の傾向であり、「自分の子どもが必ずそうなる」という感覚には結びつきにくいのです。

 

人は本能的に、低頻度で不確実なリスクを過小評価し、「起こるとしたら他人に起きること」と捉えやすい傾向があります。

 

これは無知ではなく、人間の認知の特性です。

 

 

 

 

次に、現代社会では「35歳を超える出産」が例外ではなくなっていることも大きな要因です。

 

教育期間の長期化、キャリア形成、経済的安定、パートナーとの出会いの遅れなどにより、子どもを持つタイミング自体が後ろ倒しになっています。

 

その結果、「35歳を超えて出産する」という選択は、リスクを無視した挑戦ではなく、「現実的にそれしか選択肢がない状況」である場合が少なくありません。

 

つまり、リスクを見ないのではなく、リスクを含んだ現実の中で選ばざるを得ない選択なのです。

 

 

 

 

また、臨床で親御さんの話を聞いていると、多くの人が「障害があっても育てる覚悟はある」という価値観を持っていることが分かります。

 

これは楽観や軽視ではなく、人生経験を重ねたからこそ持てる現実的な覚悟です。

 

若い頃の出産では、「元気で何の問題もない子どもが生まれること」が暗黙の前提になりやすいのに対し、高年齢での出産を選ぶ人ほど、「どんな子どもであっても引き受ける」という姿勢を持っていることも少なくありません。

 

 

 

 

さらに重要なのは、「発達障害=不幸」という前提そのものが、必ずしも親の中にないという点です。

 

専門職として現場にいると、発達障害のある子どもを育てながら、深い喜びや意味を見出している家族にも数多く出会います。

 

もちろん困難はありますが、「障害があるから人生が壊れる」という単純な因果関係は存在しません。

 

親が出産を選ぶとき、見ているのは統計的リスクではなく、「この子と生きたいかどうか」という極めて個人的で情緒的な問いなのです。

 

 

 

 

加えて、医療や支援体制の進歩も、人々の意思決定に影響を与えています。

 

早期療育、特別支援教育、福祉制度、医療的フォローなどが整いつつある現代では、「何かあっても社会と一緒に育てられる」という感覚を持つ親も増えています。

 

これは決して甘えではなく、社会資源を前提とした現代的な子育て観です。

 

 

 

 

そして最後に、子どもを持つという選択は、本質的に「合理性だけでは決められない行為」だという点を忘れてはなりません。

 

どの年齢であっても、どれほど健康であっても、出産には常に予測不能な要素が含まれます。

 

完全に安全な出産、完全にリスクのない子育てというものは存在しません。

 

人はその不確実性を承知の上で、それでも「人を育てる」という営みを選び続けてきました。

 

 

 

 

専門家として強調したいのは、35歳を超えて出産する家庭が「リスクを見ていない」のではなく、リスクだけでは測れない価値を選び取っているということです。

 

そして、発達障害の有無をもって出産の是非を単純に問うこと自体が、現実の子育てや人生の複雑さを捉えきれていません。

 

 

 

 

このテーマで本当に問われるべきなのは、「なぜ産んだのか」ではなく、「どんな子どもが生まれても、社会としてどう支えるのか」です。

 

個人の選択を責める視点ではなく、支え合える社会をどう作るかという視点に移ることが、今の時代には強く求められていると、私は考えています。

 

 

 

 

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発達障害ラボ

車 重徳

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