臨床心理の専門家として、ご家族の中で「母親は異変に気づいているのに、父親がそれを認めようとしない」という葛藤の場面に、私は幾度となく立ち会ってきました。
この温度差は、単なる愛情の深さの違いではなく、脳の認知特性や社会的な役割、そして「父親」という立場特有の心理的防衛機制が複雑に絡み合って生じています。
なぜ父親が、目の前にある我が子の困難から目を逸らしてしまうのか、その背景を深く掘り下げてみましょう。
まず、物理的・心理的な「観察時間の圧倒的な差」が挙げられます。
多くの場合、育児の主担い手である母親は、日々の食事、着替え、公園での他児との関わりなどを通じ、数千、数万という「日常の断片」を蓄積しています。
その膨大なデータに基づき、微細な違和感を直感的にキャッチする能力が養われます。
一方、仕事で家を空ける時間が長い父親にとって、子どもと接する時間は、いわば「ハイライトシーン」の連続です。
たまに一緒に遊ぶ分には、多少のこだわりや多動傾向も「元気な証拠」「男の子らしい個性」として解釈されやすく、母親が感じている「持続的な育てにくさ」が共有されにくいのです。
さらに重要なのは、父親が抱きがちな「自己投影」と「社会的成功への価値観」です。
父親は無意識のうちに、息子や娘に自分の未来や理想を重ね合わせる傾向が母親よりも強い場合があります。
特に父親自身が社会的な競争の中で生きている場合、発達障害という診断を「社会的な脱落」や「自分の遺伝子の否定」のように捉えてしまい、強い恐怖心や拒否反応を示すことがあります。
この心理的防衛は、子どもを愛していないからではなく、むしろ「自分の分身である我が子が、苦労のない人生を歩んでほしい」という願いが強すぎるあまり、その可能性を脅かす事実を、心を守るために無意識にシャットアウトしてしまう「否認」という現象なのです。
また、男性特有の「解決志向」の思考パターンも関係しています。
男性は問題に直面した際、それを具体的に解決できるかどうかで判断する傾向があります。
発達障害のように「完治」という概念がなく、長期的な療育や環境調整が必要な課題に対しては、どう対処していいか分からず無力感に苛まれます。
その無力感に耐えられないため、「障害などない(から解決する必要もない)」という結論に逃げ込んでしまうのです。
母親が「共感」を求めているのに対し、父親は「白黒はっきりした結論」を求めてしまうため、診断名という不確定な未来を受け入れることに慎重になりすぎてしまいます。
このような父親の頑なな態度は、母親を深く傷つけ、孤立させます。
しかし、父親もまた、一人で密かに「普通であってほしい」という希望が崩れる痛みに耐えている最中なのかもしれません。
無理に認めさせるのではなく、まずは第三者である私たちのような専門家の言葉や、客観的な検査結果という「事実」を少しずつ提示しながら、父親が「障害があってもこの子の価値は変わらない」と安心できるプロセスを支えることが、家族の再統合には不可欠です。
今、ご主人様との間でお子様の話をする際、どのような言葉を返されることが多いでしょうか。
その反応に合わせて、お父様が受け入れやすい情報の伝え方を一緒に検討していきましょう。
詳しく検討したい人は、LINEでご連絡くださいね。
発達障害ラボ
車 重徳