心理臨床の専門家として、教育現場で「定額働かせ放題」と揶揄される深刻な長時間労働が蔓延してしまった背景を、制度的要因と教職特有の心理的メカニズムの両面から分析いたします。
この問題の根底には、1971年に制定された「公立学校教育職員の給与等に関する特別措置法」、通称「給特法」という法制度の歪みと、教職という仕事が持つ「聖職意識」という名の呪縛が深く関わっています。
まず、制度的な要因として給特法の存在が極めて大きいです。
この法律は、教員の仕事が時間で区切ることが難しいという特殊性を踏まえ、残業代を支払わない代わりに給与月額の4%を「教職調整額」として一律に支給することを定めたものです。
制定当時は、残業時間が月平均数時間程度だったため妥当とされましたが、業務が激増した現代においてもこの「4%」という数字は据え置かれたままです。
この法律は、経営側(教育委員会や国)から見れば「どれだけ働かせても人件費が変わらない」という、経済合理性を欠いたブレーキのない仕組みとして機能してしまいました。
時間外労働に対するコスト意識が働かない構造が、無尽蔵な業務の追加を許してしまったのです。
次に、心理的な要因として「教職の聖職化」と「境界線の曖昧さ」が挙げられます。
教師という職業は、心理学的に見ても「献身的であること」が美徳とされやすく、子どもたちの未来のためという名目の下では、個人の私生活や健康を犠牲にすることが正当化されやすい土壌があります。
部活動の指導や行事の準備、保護者対応といった業務は、どこまでが本来の職務で、どこからがボランティアなのかという境界線が極めて曖昧です。
この「際限のなさ」が、真面目で責任感の強い教員ほど自分を追い込み、バーンアウト(燃え尽き症候群)へと向かわせる要因となっています。
さらに、組織心理学の観点からは、学校という組織の「密室性」と「同調圧力」も影響しています。
周囲の教員が夜遅くまで残っている中で、自分だけが定時で帰ることに強い罪悪感を抱かせる空気感が醸成されています。
また、学校現場では「子どものため」という言葉が絶対的な正義として機能するため、業務改善を提案すること自体が「子どもへの愛情が足りない」と誤認される恐怖を生み出します。
その結果、非効率な慣習や過剰な事務作業が淘汰されずに蓄積され続け、若手からベテランまでが等しく過重労働の渦に飲み込まれていくのです。
臨床家として危惧するのは、こうした環境が教員のメンタルヘルスを破壊するだけでなく、ひいてはお子様たちへの教育の質、さらには「大人になることへの希望」を奪っているという事実です。
疲れ果てた教師の背中を見て育つ子どもたちが、社会に対してどのようなイメージを持つでしょうか。
給特法の抜本的な見直しという制度改革と並行して、学校が「自己犠牲の場」ではなく「専門職としての誇りと生活が両立できる場」へと文化を書き換えていく必要があります。
教育現場のこうした歪みが、今まさに目の前のお子様や先生方にどのような影響を及ぼしていると感じられますか。
その具体的な不安を入り口に、私たちにできる「境界線の引き方」について、さらに考えていきましょう。
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発達障害ラボ
車 重徳